昭和41年05月23日 朝の御理解
お道の信心を本当に体得さして貰って、有難い所を体得させて貰って、日々の信心生活の中に頂いて参りましたなら、それこそスム-ズな一つのリズム、リズム感がある様な一日、歌いあげる様な一日、そういうおかげが頂けれると私は思うですね。それは丁度、歌なら歌を覚えましてその歌を歌う様なものです。その歌をようと覚えておらんで、あっそこうこ歌う所に却ってその歌の楽しさとか、リズムまで出ないのです。
例えば大祓なら大祓を奏上さして頂きますでもです、あれも覚えてしもうたら、あれを、所々あげなさいち言われたら却って難しい位です。それを一通り覚えてしまいますとです、一所でも抜かしたら、かえってあのスム-ズさが悪くなってかえって難しい。お道の信心の本当の有難い所を、体得さして頂いたら信心さして頂く者は、何事にも信心になれよと教祖様が仰っておられまます様に、実意も込めて全てを大切にね。
私はお道の信心の一番素晴らしい所はそこだとこう思うんです。だから、そこんところの信心が言わば体得出来ましたならば、一日が本当にこう歌い上げられる様な一日、万事にスム-ズなおかげが頂けれるとこう思うですね。それを本当に体得致しておりませんもんですから。それが中々難しい様に思える。それでもそこを一生懸命、覚えさして貰う一生懸命体得をさして貰おうと本気で行ずる気にならせて頂く時ですね。
一日が本当にもうそれこそスム-ズな万事万端な上に、御都合お繰り合わせ頂きまして、有難とう御座いますと云う様な、おかげに成って来ると思うのです。昨日は私、福岡の日吉さんという方が、毎朝、毎朝じゃない、日曜日の朝の御祈念に必ず夫婦でお参りになられる方がおられます。あちらは鉄工所をなさっておられますが、中々その発明家、いろんな物を発明なさる。それが非常に熱心。
今度駅弁をですね、作る機械を発明しておられる。一年掛りでどうしても、半年ばかりの所で行き詰りましてですね、大体出来たんですけれども、中々スム-ズに出来ない。もう、私、その機械を見せて貰ってから、随分是で苦労なさった事だろうと思ってから昨日、私、見せて頂いたんですけれども、それが完成した。それでその御礼を申しあげてくれと云う事で御座いましたから。
昨日、福岡の方達が皆んな集まっておりましてですね、鉄工所の二階でお神様もお祀りしてありませんから、天地書附をお祀りしてそこで、お祭りをさして頂いた訳です。例えばその機械を見ましてでも、やっぱ、そうでしたね。駅弁が三秒に一つづつ、ずうっとこう、いわゆる、オ-トメイションです。でけていく訳ですそれが。どこに引っ掛かりが出来てもでけない。
それに様々な半年目位まではですね、冷ご飯で、冷たいご飯ですればゆくんだけれど、温かいご飯を詰めたら、どっこい引っかかって固まってから、その出らんというので、非常に苦心されましてね、ここで、一,二箇所お参りされてヒントを頂かれてから、それが出来上がったんです。もう、大変一つ、一つ出来上がって行くと云う事は、まあ嬉しい事だろうともう思います。けれどもね。
そんな訳で御座いまして、昨日あれこれの、用事も御座いましたから、文男さんが何時も、22日田主丸の共励会に、おかげ頂いとります、それで文雄さんの車で、帰らして頂いた。すこし遅くなったなあと、思うて田主丸に参りましたら、ちょうど御祈念がもう、しまいがけ、霊様にお礼があっておるところで、御在ました。ですからまあ、私が参りましたもんですから、共励会、共励の中心を、私が受け賜りましてね、まあ、いろいろ信心の共励さして頂いたんです。
帰らして頂いてから又ここで色々話をさして頂いて、まあ皆さん帰られれましたのが、もう十二時過ぎで御在ましたでしょうか。それから御初穂の整理をさして貰よりましたら、手紙が何通か来とりましたから開封してからその中に五,六人のお届けが御在ましたから、そのお届けをさして頂いておりましたから一時過ぎておりました。言わば疲れとりますから、手紙の封を切らんなり明日もう見せて頂こうかと思ったんですけど、
どういうまあ、険しい事を、どういう大切な事をお届けしてあるやら分らんと思って、それから読ませて頂いて。それでその事をお届けさして頂いて、神様に御礼を申し上げさして頂いておりよりましたら。そこをその、楽譜に書く、おたまじゃくしですね、あれをずぅっと頂くんですね。そして言わば今朝の御理解を頂いたんです。昨日例えば、一日が私のもう、本当もう、ここを立つが立つまで昨日は、日曜な事で御在ましたからもうつう一杯の御用頂いて行きました。
それに向こうから、迎えに来て頂きましたから、秋永先生が迎えに来て下さいましたから、その車であちらへ参りましてそれももうつういっぱいでした、それでその事のお知らせ頂かして頂いてからです、今日も一日、充分のお使い回し頂いてから、おかげ頂きましたと言う事が言える。例えば一言でも私がその事を疎かにしておったら、そのまあ、歌い上げる様な一日にはなってなかったと思うですね。
途中で歌を止めた様な事になっておったり。所々実意をもってしただけであったら、その歌を所々歌った様な事になって来るのじゃなかったろうかと、こう思うのですね。それがその、所々に、きちっ、きちっと一日を間違いない生き方でおかげ頂きよる。少し遅くなったかな、あそこに寄ったのが御無礼になっとったんじゃないだろうかと云う様な、思い方もないじゃなかったんですけれども、それもこう実意丁寧を持っておかげ頂いてい来よれば、きちっと合うておったと云った様な事が。
例えばいうなら田主丸に寄らせて頂いたと云う様な、大変遅くなりましたけれども、ようやく御祈念がすんだと云う所で御在ました。ですからその、そう言う風にです万事に御都合、お繰り合わせ頂いてと云う様な毎日、毎日でなからなければならんと。そういう毎日であれば、どういう問題を抱えておりましてもです毎日がスムーズなおかげ頂いて行きよるのですから。
神さんのご都合であると云う事も分れば、又おかげの方へ進んで行きよるという実感のもとに、確信を持ってその問題に取り組んで行く事が出来ます。そこ引っ掛り、ここ引っ掛かりね、と云う様な事であっては、何か心許ない気が致します。その為にどうでもひとつ、実意丁寧神信心をです、これがお道の一番有難い所だと思うのですからそこんところを一つ体得さして貰う。家業のその中にその事を体得してしまうとです、そうしなけれは却って気持ちが悪い。
そうしなければ前の方には進まれないと云った様な事になって来るんだとこう思うんですよ。ですから成程その中には少し疲れておるから。もう御無礼しょうかとか、眠むたいなあとかいう様に心の中に、ちょっとこのル-ズな心が起こりましてもです、そこんところやっぱりやってしまわなけれは、そう思うんですね。最近私が四代様の御教えを皆さんにも聞いて頂きますから、全ての事を大切に全ての事を大切に、ああこれが普通だったら今までやったら手紙を見るのはもう、明日にしとったんじゃろう。それをお届け帳をさげて来てから。
それにお届けさして貰って御祈念をしたのは、ここは何時も抜かしとっただろう。一番最後の所をと言う風に思う所でも、そこんところを大事にして行く所に次から次とおかげを頂いて行く一日が一つのまあ、リズム感がでけて来る。一つの歌でも、それを覚えてしまわなければいけません。その一つの歌を覚えてしもうたら、ところどころ歌うての方が、却って難しいね。やっぱそれを間違いなしに歌う事こそ初めて歌の楽しさもあれは、気持ちの良い事にもなっ来るんで御在ますから、問題は体得しなければなりません。体得するまでが少し私は辛抱だと。体得するまでが少し窮屈だと。
今まであまりその粗末な毎日であったとね。それを私共がこうする事が、本当だという信心を本当に自分の物としてしもうたらです、そこを一つでも通り越えたらですね、先の方が言わばきちっとしたおかげになって来ない。所がその生身を持っておる訳で御在ますからそこにも、ここにもお粗末御無礼を感じるので御在ますけれども、そこんところを、だから詫びて、継なぎ合わして行くと言った様な所からです、おかげをこうむって行かなければならんと思うですね。
どうぞ。